旅立ちの日に

2005年1月31日 過去
昨日のEZTVで、『旅立ちの日に』特集をやってた。
どこかの中学校の校長先生と音楽の先生が、
ばらばらだった生徒たちを合唱という手段で
絆を深めさせようってんで作った曲だそうだ。
今全国の学校で、卒業式で歌う曲の定番になっているらしい。
なんでも、生徒が自分からすすんで、
『旅立ちの日に』を歌いたいといって実現させているそうだ。

高校のころ、
なんかことあるたびにこの曲を歌わされていたような気がする。
卒業式とか合唱コンクールとか関係なしに。
あのころ、校歌はほとんど誰も歌詞を覚えていない
(僕もぜんぜん覚えていない)という状況だったのに、
なぜか『旅立ちの日に』だけはみんな何も見ずに歌えるという、
へんな状況だった。
多分、進学校だったので、音楽の授業が選択だったので、
校歌をまともに練習している人が少なかったことと、
何かのきっかけで『旅立ちの日に』の合唱をしたら、
生徒たちに結構評判がよかったので、
しょっちょう歌わせたのでこんな現象がおきたんだろう。

まあ、それだけなら別になんてことないんだけど、
たった一つだけ問題があった。卒業式である。
『旅立ちの日に』は、卒業式でも歌われることになった。
当然、校歌も。

卒業式の直前の練習でも、誰も校歌をまともに歌えず、
ブラスバンドの伴奏に思いっきり負けた、
いつもどおりの声の小さい辛気臭い合唱だった。
一人まじめに歌ってる教師の歌声にも負けていた。
対して、『旅立ちの日に』は、みんな水を得た魚のように
みごとな大合唱。そりゃそうだ。練習量がちがう。

それなのに、教師は誰も校歌のできに文句を言わず、
なぜかほめてた。2回ほど歌っただけで練習終了。

正直、僕は本番が不安だった。そのころ僕は二年生。
本番でもしこの練習どおりの現象が繰り返されたら、
見に来た人たちはどう思うだろうと。
『旅立ちの日に』と、校歌の出来のギャップに。
そして、僕の卒業式のときにも、
同じことが起こるかもしれないという不安に。

でも、誰もそんなこと気にしていないようだったし、
僕が校歌をちゃんと歌おうという勇気もなかった。

そんなわけで、卒業式本番も、練習と同じような感じの
合唱になり、あいかわらず校歌はだめだめだった。

卒業式が終わって、こんなんでよかったんかと一人で
悩んでいたら、ホームルームが始まり、担任が開口一番、
「すばらしい卒業式やった。来賓のみなさんも
口をそろえてすばらしいと言っていた。よくやった。」
僕はあ然とした。あんなんで本当によかったんかい、と。
そんなもん確実におせじだろう、と。

一年後、僕の学年の卒業式のときも、曲目は一緒だった。
ただし、校歌はブラスバンドの演奏のみ。
校歌斉唱ではなく、校歌静聴。
実は学校も気づいていたのな。配慮したんだろう。
でも、やっぱり少し恥ずかしかった。

とか書いときながら、3年の卒業式の記憶はあいまいだ。
演奏だけだったような気もするし、
最低の合唱だったような気もする。
このころは受験で卒業式どころじゃなかったし、
卒業式が終わっても、何一つ感動的なイベントが
あったわけでもなく、僕のクラスは昼の1時半くらいには
あっという間に解散してしまった。さみしすぎる。
盛り上がってる人たちもいるっていうのに。
一応僕は最後まで教室にいた。なんとなく。
いい思い出なんてほとんどなかったような気がするけど、
帰ったらそこで終わりのような気がしてなんとなく。
明日からも、受験勉強にくることになってたんだけど、
ほとんどの人とは今日でお別れだったわけだから。
ちょっとだけしゃべったことある人、
しゃべったことはなくても、顔や名前は知ってる人、
話しても何もできない僕にもときどきは話しかけてくれた人、
中学のころから仲良くしてくれた人、
そのほとんど全てがサヨナラである。多分、きっと。

家に帰って、もらったまんじゅうを食べながら、
高校生活と、これからの受験のことを考えた。
ちょっと死にたくなった。

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