ノーカー

2005年5月9日 エッセイ
僕の弱点は大きすぎて、他ではとても補えないくらい大きすぎて、
何をしたって、誰かに相談したって、絶対になくなるわけがなくって、
そもそも、あまりにも贅沢な悩みで、
普通の人はそんなことで悩むことなんかほとんどなくて、
当たり前のようにこなしているから、
誰もわかってくれる訳なんてなくて、
たとえわかってくれたとしても、解決できるわけなんてなくて、
僕はこれから先一生それを抱え続けなくちゃいけなくて、
今もその弱点に直撃していて、もうほんとやになってくる。

ああ、もういうよ。いってみせる。
最低なやつだと思ってくれればいいです。

僕の弱点にして、贅沢にして、社会不適合の真骨頂。

僕は車の運転が苦手だ。
大学生の分際で自分の車を持っていて、
しかもほとんどつかっていないのだ。

車に乗ると、本当に神経がいかれてくる。
事故るんじゃないか、事故るんじゃないかという強迫観念におそわれる。

いつどこかにぶつかって死なないとも限らないし、
いつどこで人をはねなて殺さないとも限らない。
ものすごいスピードで死と隣り合わせになっているような気分になる。
事実、何度も死にかけている。

親に、何度も車なんかいらないといったのだが、
「車も乗れないようでどうする。そんなやつ、就職もできない。
それに、雪が降るから必要だろう。」
の一点張りで、僕はずっと車を持たされている。(なんて贅沢な。)

車に乗るのが怖いので、移動はもっぱら自転車か徒歩だ。
あまりにも動かさないと、バッテリーが切れるらしいので、
たまに練習として少しだけ動かしている程度で、ほとんど車には乗っていない。

どれだけ変人扱いされようがかまわない。
自分が死ぬ、自分が傷つく、
人を傷つける、もしくは殺す、そんなリスクを犯してまで車に乗る勇気は僕にはない。

お金だってかかる。はっきりいって、僕の遠距離移動の頻度では、
電車の方がそうとうに割安なのだ。
ガソリン代はかかるし、維持費はかかるし、税金はかかる。
そのすべてゼロにできればどれだけうれしいか。
そして、そのすべてをゼロにできるだけの理由が僕にはあるのだ。
それだけのお金があれば、もっといい使い方ができるのに。
それこそ、最高の性能の自転車が買える。
その方が僕にはありがたい。
それなのに、なぜか僕から車は離れてくれない。
親の命令はぜったいなのだ。僕、もう21だってのに。

あー、やだ。免許なんか取らなかったらよかった。
(こういうと、100パーセント贅沢だといわれる。)
車なんかはやく手放したい。
(これも、100パーセント贅沢だといわれる。)
でも、本心でそう思っているから仕方がない。

こんなものを背負って生きているのだ。
贅沢といわれ、わがままといわれ、変人と思われながら生きている。

たいていの人は、免許を取って車を持ったら、
楽しそうに車を運転してるだろう。
さもそれが当たり前のことであるかのように。

僕なんて、ほんとどうしようもないんだ。
僕には車を運転する才能がない。
車を運転する精神力もない。
自分を傷つけなくないし、
まして他人を傷つけるなんて最悪だ。

なんでみんなそんな勇気があるんだろう。
不思議だ。本当に信じられない。
もし明日人をひき殺しても、まともでいられる勇気があるんだろうか。
僕にはない。そんなものあるわけない。

ふつうに生きてりゃ、僕は自殺することなんてないし、
まして人を殺すなんてあり得ない。

もうやだ。どこかにないのか、車がいらないところは。
どこかにないのか、こんなやつを雇ってくれる仕事は。

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